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執筆者の写真Ayu Obara

2020年代の成長に向け、 ベトナムが日本の高度成長期から学ぶべきこととは?

更新日:2022年2月23日

現在のベトナムは日本の高度成長期頃に似ている、とはよく聞きますね。

かつての活気があった昭和から平成に掛けての日本の雰囲気をどことなく感じるベトナムに懐かしさや魅力を感じている人も多いのではないでしょうか?



今回は、ベトナムの経済ニュースサイトに今月掲載された、”現在のベトナムが1960年代の日本から学ぶべきことは何か”、という興味深い内容のニュース記事をご紹介します。

以前は貧しかった日本が一躍先進国の仲間入りを果たすまでの道のりを踏まえ、ベトナムで生きる日本人としてどのようにベトナムでも発展し、ベトナムと日本の社会に貢献出来るか、考えてみるキッカケになりましたら幸いです。


(原文はこちら)


 

ベトナム2020年代の成長に向け日本の高度成長期から学ぶこと


「ベトナムサミット・イン・ジャパン2019」のオープニングスピーチで ベトナム首相経済諮問委員会委員の早稲田大学のチャン・ヴァン・トー教授 は、

「より速く、堅実に、包括的に成長するにはどうするべきだろうか?

全てのベトナム人が、止むを得ず海外に出て仕事を探さなければならない状況から脱し、国内で仕事ができるようにするには、どうしたらいいだろうか?

徹底的に工業化を推し進め、バリューチェーン構築するためにどうしたらいいだろうか?」と問いかけ、ベトナムは過去50年間、何度も成長の機会を逃したため、現在、周辺各国と比較して大きな経済格差が依然と残っていると評価した。



ベトナム+アジア3か国のGDP

(グラフ1: ☝1950年から2016年までのベトナムおよびアジアの3か国(中国、インドネシア、タイ)の国民一人当たりのGDP

: 1960年代中盤のベトナムは、周辺のアジア諸国とほぼ同じ成長速度であったが、その後遅れを取り、今なお、大きな格差が存在している )



1950年から1960年まで、グラフ1にある通り、購買力平価一人当たりの所得は、他の諸国とほぼ同じレベルに達しており、大差はなかったが、数十年に渡り成長機会を逃したために、現在のような大きな格差を形成した。


また、教授は「近代に入り、先進国との経済格差を縮めた諸国は、10%前後で成長を遂げる高度経済成長期がある。例えば、1955年から1973年の日本、1982年から1995年の韓国、1982年から2011年の中国がその実例である。」と示し、 「ベトナムには、未だにこのような高度成長期がない。次の10年で、それができるかが問われている。我々にその決意があればできる!」と続けた。


60年前の日本と現在のベトナム


高度経済成長期を経た国々の中で最も成長した日本は、非常に高い発展率と包括力を持って成長した国である。

1955~1973年の間、特に、1960年代に驚異的に成長した。

ベトナム首相経済諮問委員会委員の早稲田大学のチャン・ヴァン・トー教授によると、「1960年代の”前夜”、すなわち 1950年代の日本の経済状況は、現在のベトナムとよく似ている」という。


日本は明治時代から西洋に追いつこうとし、その夢は100年という年月を要し、1970年にイギリスに追いつくことで叶った。

明治維新から数えて下位中所得国になるまで64年、さらに30年をかけて上位中所得国となり、戦争で足踏みしたものの、高所得国に至るまでは10年間しか要さなかった。


高度成長期 東京

第二次世界大戦前、日本の経済成長率は低く、イギリスと同程度だったため、その差を埋めることはできなかった。しかし1955年から1973年の高度成長期はとても重大な意味を持った。この期間で、日本は下位中所得国から上位中所得国へ、そして一気に先進国の仲間入りを果たした。


1960年代は、国民の総力が発揮され、余剰労働力が労働力不足産業へ迅速に回され、教育界の人材力向上の努力もあり、工業化が迅速に進んだ。



1970年代の日本、米国、イギリス比較

(グラフ2:☝ 1970年代、日本はイギリスに追いついた。それには100年を要した ( 時代性を反映する)。第二次世界大戦前、日本の経済成長のスピードは低く、イギリスと同じ程度だったため、その差を埋めることはできなかった。1955年から1973年の高度成長期が決定的な性質を持っていることを表す )


そして特に、「資本貯蓄が大きな役割を担った」と教授は強調する。資本を技術革新と集積したことで、投資効率があがり、資本市場が成長し、資本力分配が功を奏した。


注目すべき点は、この頃、日本の工業技術力は主に海外からの輸入だったことだ。上記期間中、技術貿易における輸入額は非常に多く、輸出額はとても低かった。 しかし国内企業は積極的に研究・開発 (R&D)活動の選択、改善、適用に多大な努力を重ね、研究開発費総額の対GDP比率が急速に増加し、ヨーロッパやアメリカを抜いた。



工業製品輸出入金額


日本対欧米:研究開発費総額の対GDP比率

(グラフ3:工業技術力は主に海外からの輸入だったが、改善したり、適用したりする事に 多大な努力を払ってきた。(研究開発費総額の対GDP比率が急速に増加し、欧米を超える)


中小企業を含む各企業の資本調達が非常に容易なこともあり、その結果、企業は積極的に技術革新を進め、科学技術イノベーションを活用した解決策を構築したり、革新的な新製品開発を行った。

その過程で、民間企業は主導権を持ち、経済構造は目覚しく転換を遂げた。生産性の高さがTFP(全要素生産性)の上昇へ大きく寄与した。



日本の高度成長期主要人物

ベトナムが学ぶべきことは?


現在ベトナムは、低位中所得国であり、農業の余剰労働と個人所得は依然として大きく、投資比率としては低くはないものの、あまり効果が期待できない。その多くは外国資本に依存しており、国内企業は技術革新に積極的ではない。


日本のような成長を遂げるためには、ベトナムは、民族精神を発揮し、勢いのある社会を形成し、学ばなくてはならない。そして、政治家、官僚、経営者、知識人は共に、欧米に追いつくことを目標としなければならない。



ホーチミン

低位中間所得の時期から、各先進国に追いつくためには、高度成長期間が必要である。平均的もしくは平均以下の発展スピードでは、長期化するだけではなく、チャンスを失うだろう。


同教授は、急速な発展のためには、各資源をより効率の良い産業へ移転させ、資本、土地、労働市場を改善することを助言している。資本市場の発展にテクノロジーを組み合わせすることは、技術革新と生産性向上による投資促進の一助となるだろう。


同教授は更に、人材の質の高さは、必ずしも高等教育を受けた者が該当するとは限らないと指摘する。どの段階の教育においても、高品質であることを重視しなくてはならない。農業労働力と自営労働力を工業産業へと移行させるためには、大学を含む高等教育の質を高める必要がある、と述べた。



 

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